福岡高等裁判所 昭和49年(う)589号 判決 1975年2月26日
被告人 諏訪浩親
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数のうち一〇〇日を原判決の本刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人藤井克巳および被告本人が差し出した各控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。
弁護人の控訴趣意第一点、法令適用の誤り
所論は要するに、原判決は、原判示第三において被告人が現金約二万五、〇〇〇円在中の小銭入れ一個を領得した事実を認定し、この事実に対し刑法二三五条を適用し、窃盗罪をもって処断しているが、右行為は、占有離脱物横領罪を構成するもので、窃盗罪を構成するものではない。すなわち、被告人が高田安喜を殺害したのは昭和四九年三月二八日午後一〇時過ぎであり、次いでその死体を自宅付近の畑より運び、地下約一メートルの深さの穴の中にこれを埋め、これを終ったのが同月二九日午前四時ころである。被告人は自宅に帰ったが、眠れないまま朝を迎え、線香を携えて死体を埋めた地点に赴いたのが同日午前七時ころのことであり、この時点で被告人は高田安喜が生前着用していた背広上衣のポケットから現金入りの小銭入れを領得したのである。右の事実をさらに仔細に観察すると、高田安喜の死体は完全に土中に埋没していて、外部からその死体を望見することは不可能であり、付近一帯の土地は高田安喜とは何等関係のない土地であって、しかも小銭入れがポケットに入っていた背広上衣は、誰の目にも地上に落ちているとしか認識できない状態である。しかも小銭入れを領得した行為は死体遺棄後三時間を経過した後に行われたのであってかような状況下においては、右背広上衣は勿論ポケットに入っていた小銭入れに対して、高田安喜の死後の占有が及んでいるとはも早や認め難いものといわねばならない。従って、被告人が領得した小銭入れは、占有離脱物というほかはないのであって、これを領得した行為が死者高田安喜の占有を侵奪したこととはならないのであるから、この行為に対し窃盗罪として刑法二三五条を適用したことは誤りというほかはない。右誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかである。原判決は破棄を免れ難い、というのである。
よって記録を精査して勘案することとする。
被告人が高田安喜を殺害して、その死体を畑の土中に埋め、同人が生前着用していた背広上衣のポケットから現金二万五、〇〇〇円入りの小銭入れを領得するに至るまでの経過的事実ならびに状況的事実を仔細に検討すると、被告人は、昭和四九年三月二八日午後一〇時半ころ、熊本県飽託郡飽田町大字畠口六番港堤防下において高田安喜(当時五七年)を殺害した後、同所の潮遊池の中から同人の死体を堤防上に引き揚げる際、同人が着用していた背広上衣、ズボン、カッターシャツ、靴等を脱がせ、同月二九日午前一時ころこれら背広上衣等を同人の死体とともに乗用自動車に積み込んで、被告人自らこれを運転して同県同郡天明町大字海路口内田落江湖添四、一三八番地の二所在の畑(被告人の父諏訪良男所有)まで運び、自宅からショベルを持って来て同所に長さ約一六三センチメートル、幅約九〇センチメートル、深さ約一〇五センチメートルの穴を堀り、その中に高田安喜の死体を入れてその上から土を覆せ、周囲の土地と同じ高さ位に盛土をして、その上を覆うように枯草を置いて堀り起した土の真新しい状況を隠蔽し、これらの作業を終ったのが同日午前四時ころのことである。その際、被告人は死体と一緒に運んで来た高田安喜の背広上衣、ズボン、カッターシャツ、靴等も死体と一緒に埋めるつもりであったが、死体の処置に気を取られて埋め忘れたため、これらを一括して傍の柳の木の根元にビニールを覆せて外部からは判らないように隠匿して自宅に帰り、同日午前七時ころ再び右畑に赴いて右背広上衣、ズボン、カッターシャツ、靴等を処分する際右上衣の内ポケットの中から現金二万五、〇〇〇円位とともに小銭入れ一個を領得したのであって、右の状況については、被告人が死体を埋めた場所や、背広上衣等を隠した場所が、高田安喜とはその生前において何等生活上の関係があった場所ではなく、また死体を埋めた後の状況も、完全に土で覆い、さらにその上から枯草を覆って、外部からは死体を全く認め得ない状態であったことは所論の指摘するとおりであるけれども高田安喜の死体から背広上衣等を脱がせたのも、これら背広上衣等を殺害の現場から死体埋没の場所まで死体と共に運んだのも、また死体を埋めた地点から一二・七メートル離れた柳の木の根元に背広上衣類を隠したのも、皆ほかならぬ被告人本人の行為であって、かかる状況の推移は被告人の意図的行動の結果にほかならないところである。右背広上衣やそのポケット内の在中品(被告人はたとい当初のうちは、現金および小銭入れがあることを具体的には認識していなかったとしても、)包括的にこれらの品が高田安喜の所持品であるとの認識は、被告人がこれを意図的に領得する瞬間まで有していたと認め得るところであって、しかも背広上衣等を柳の根元に隠したのも、死体と一緒に埋めるつもりで居ったところが、死体の処置に追われて埋め忘れたため、外部からの発見を防ぐための隠蔽工作であって、これら背広上衣等の上に被告人の支配が或る程度及んでいたとはいえ、被告人には高田安喜の占有を排除する意図はなかった行為というべく、さらに死体埋没の地点と背広上衣等の隠匿地点とが僅かに一二・七メートルの至近の場所でビニールを覆っていたため他人の発見し難い状態であった等の諸状況に徴すると、殺害後約八時間半を経過していてもなお高田安喜の死後の占有は、これら背広上衣やそのポケット内の在中品に継続して及んでいたものといわねばならない。(死者の占有の規範的側面をかように解したからと言って、最高裁判所昭和四一年四月八日第二小法廷判決、刑事判例集二〇巻四号二〇七頁や、東京高等裁判所昭和三九年六月八日判決、高等裁判所刑事判例集一七巻五号四四六頁の判旨に悖るものではない。)
しかるときは、右現金約二万五、〇〇〇円位および小銭入れ一個の領得行為は死者の所持を侵すもので、これに刑法二三五条を適用した原判決の法律判断は適正であって何等の誤りもないものというべく、論旨は採用し難い。
弁護人の控訴趣意第二点および被告人の控訴趣意、量刑不当
所論は、いずれも要するに、被告人に対する原判決の量刑が不当に重いというので、記録を精査し、かつ当審の事実取調の結果をも検討し、これらに現われた本件犯行の罪質、態様、動機、結果、被告人の年令、性格、経歴および環境、犯罪後における被告人の態度、本件犯行の社会的影響など量刑の資料となるべき諸般の情状を総合考察すると本件犯行の概要は、前叙のごとく、被告人が、(一)昭和四九年三月二八日午後一〇時半ころ、熊本県飽託郡飽田町大字畠口六番港堤防上の自動車内において、殺意をもってかねて用意しておいたベタ流し用の重しを右手に握って高田安喜(当時五七年)の前額部を数回殴打し、さらに車外に出て同堤防下の潮遊池において右重しにバンドを通して振り回し、これにより同人の頭部を数回強打し、即時同所においてくも膜下出血のため死亡させて殺害し、(二)同人の死体を前記自動車内に積み込み同月二九日午前一時ころ自ら右自動車を運転して同郡天明町大字海路口内田落江湖添四一三八番地の二の畑に運び、同日午前四時ころまでかかって同所に穴を堀り、これに右死体を埋めてこれを遺棄し、(三)同日午前七時ころ再び右畑に至り、同所においていた高田安喜の背広上衣の内ポケットの中から、同人が所持する現金二万五、〇〇〇円位在中の小銭入れ一個(時価約一〇〇円相当)を窃取した、というものである。
右殺人の動機は、被告人が金融業をしていた高田安喜から一ヶ月につき四歩の利息で数回に亘って借り受けた負債合計四三〇万円および同人から買い受けた水田七筆の代金の支払に代えて西繁喜の高田安喜に対する債務三八四万円を引き受けた債務があって、多額の利息の支払に困るようになったので、借り受けた四三〇万円の債務金全額を支払うため農協に四〇〇万円の融資を申し込んでいたところ、高田安喜から西繁喜の債務の引き受け分から支払ってくれと要求されたうえ、農協の融資も思うようにならなかったため、支払いに苦慮していたところ、犯行の前日に至って高田安喜に対し、借り受け金の利息を月二歩に減額してくれるよう懇請したが同人が拒絶したため憤激して同人を殺害しようと決するに至ったもので、被告人は、高田安喜が金融業を営む者で高利であることは承知のうえで多額の金員を借り受けたのであり、高田安喜の取り立てが極めて苛酷であったということはなかったのであって、被害者に取り立てていう程の非はなく、殺人ならびに死体遺棄の犯行は極めて計画的で、殺人については犯行現場を下見した程であり、犯情は極めて悪く、右犯行における基本的責任が極めて重いことは、当然のことといわねばならない。
被告人は右犯行後、犯跡を隠蔽するためいろいろ工作し、中でも、高田安喜が恰も生存しているかのように被害者の内妻坂口テル子にたびたび電話して高田安喜が旅行しているように伝えたり、同家を訪れて同女と面談したりしており、また被告人の妻淑子が被告人の態度に疑いをかけ始めたことから、同女に対しても出先から電話で高田安喜の声色を使って同人の生存を信じさせようとしたり、或は高田安喜に対する債務の支払を免れようとして、恰も全額弁済したかのように工作するなど、極めて大胆に振舞ったばかりでなく、自己の行為に対する反省や悔悟の気持はみぢんも窺えなかったのであって、情性の薄さが目立つ特異な性格を窺わせるものがある。
しかし、被告人には昭和三七年に窃盗罪で一回処罰を受けたほかに前科はなく、本件犯行が発覚し逮捕されて取り調べが進むにつれて被害者の冥福を祈るとともに、父母や妻等の協力を得て総額約八三〇万円を被害者の遺族に支払っていることが認められ、その他所論が指摘する被告人に有利な情状を斟酌しても、被告人に対する原判決の量刑は相当であって、不当に重いとは考えられないから、論旨は採用することができない。
よって、刑訴法三九六条により、本件控訴を棄却することとし、なお刑法二一条に従い、当審の未決勾留日数のうち一〇〇日を原判決の本刑に算入し、また当審の訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書の規定に従い、これを被告人に負担させないこととして、主文のように判決する。
(裁判官 藤野英一 真庭春夫 池田憲義)